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Death lies in the side

JUGEMテーマ:日記・一般

こんばんわ。
さとちです。

気が付けば2014年、今年も不定期更新で
やって参りますので、気長にご覧くださいませ。

そんな一発目のブログではあるのですが、少し
暗めな話題となっております。

昨日の朝、親戚のおじさんが亡くなりました。
父方の姉弟ではあるのですが、うちは父を早くに
亡くしているので、そのおじさんが「伯父さん」
なのか、「叔父さん」なのかもわからないのです。
ただ、年齢は70歳は越えていたかと思います。

そんな説明からもわかる通り、親戚のおじさんですが
今まで近くに住んでいたわけではない(とは言っても
そこまで遠く無い春日井市でしたが)ので、過去に
会話をした記憶がほとんど無い方でもありました。

ただ、元々四日市出身ではあるからなのか、(おそらく
定年退職後に)夫婦二人で四日市に戻ってきており、その
住んでいる場所が、今の職場から近いところであったので
何度か散歩中に会うこともあり、「また食べにいくでな」と
まあそこでも、会話らしい会話までは行かなかったのですが。

ですが、本当につい最近、この間の日曜日に、お店の前を
掃除するために、ちりとりとホウキを持って歩いていたら
散歩に来たおじさん夫婦と遭遇したのです。
今思えば、わざわざお店の前を散歩ルートに組み込んでいて
こうやって、さとちと出会うこともあるかもしれない、と
期待してのことだったようにも思えます。

そして、2月6日に入院する、ということをその時に話しており、
動脈瘤を取る手術をするのだ、ということまで話をしました。
その中でも冗談めいた口調で、
「次は生きて会えるかわからんけど」
なんてことを口にしていたのですが、さとちの中ではその言葉は
本当に冗談でとしか取っていなく、よく考えれば動脈瘤がある
なんてことは、かなりの深刻な状態ではあったはずなのですが
今眼の前で話している、歩いている姿を目の当たりにしている
からか、麻痺した感覚にもなっていたのです。

そして、昨日、7日であったので、「昨日、入院したんだよな」
というようなことを、何故かぼんやりとは考えていたことを
記憶しています。

夕方4時くらいだったか、スマートフォンに母からのメッセージが
あり、そこで「おじさんが今朝亡くなった」ということを
知らされました。

さとちは、小学1年生の頃に父親、大学生で祖父、30前半で
大好きだった女の子、そして、数年前に親戚の伯母と祖母、と
色々と「人の死」というものを目にしてきたはずなのですが、
今回のおじさんの死は、今までに無い感覚をさとちに与え、
今までで一番ショックを受けた人の「死」でした。

それは、「死」は本当に人の傍にいつも横たわっており、
気まぐれに首をもたげて起きて来れば、すぐにその人に
「死」をむかえさせることが出来るのだ、ということで
人間誰しもその時まで「死」によって「生かされている」
ということを今更ながらに痛感しました。

つまり、自分も「死」を傍らに生きており、いつ「死」が
訪れても不思議はないのだ、と。

そんな感覚に陥ったのは、やはりもう40手前という年齢も
関係しているんでしょう。
おそらく、20代前半ではそんなことは思わなかったはずです。
生々しい人の「生」から「死」を見てしまったことは
少しさとちの心のなかに傷を付けて行きました。

血圧も高めで、そんな血筋の親類であるさとちにも
「ちゃんと運動して野菜摂らなあかんで」
と気にかけてもらったり、
「こんな身体やで、味の濃いものはいつもは食べられやんけど
 たまには大丈夫やから、退院したら食べにくるでな」
と言ってくれたことが、今でも手で触れるかのごとく目の前に
感じられ思い出せるのです。

そして、その姿、声を思い出すたびに胸が締め付けられ
涙が出てきてしまうのです。
上述のように、過去そこまで会話をしたことが
無かったにも関わらず。

今日のお通夜には伺えなかったので、明日の告別式には
出席するのですが、その会話をしたときに横で一緒に笑っていた
奥さんを前にした時、平静を保っていられるか自信はありません。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2014.02.08 Saturday | 05:32 | comments(0) | trackbacks(0) | 雑記 | 
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